
記
【日 時】2026年6月13日(土) 11時00分~17時05分(10時30分から受付開始)
【参加形態】ハイブリッド形式(対面形式とオンライン形式の併用)
※変更になる可能性があります。その際は、別途メールにてご連絡いたします。
【会場】國學院大學渋谷キャンパス5号館 3階 5301教室
【アクセス】https://www.kokugakuin.ac.jp/access
※別紙「國學院大學5号館向け構内案内図」もご参照ください。
渋谷駅(JR各線・地下鉄各線・東急各線・京王井の頭線)から徒歩約13分
渋谷駅(JR各線)新南口から徒歩約10分
都営バス(渋谷駅東口バスターミナル54番のりば 学03日赤医療センター行)「国学院大学前」下車
表参道駅(地下鉄半蔵門線・銀座線・千代田線)B1出口から徒歩約15分
【参加費】無料
【懇親会】6,000円(学生3,000円)
懇親会をキャンセルされる場合は、5月31日(日)までに事務局にメール下さい。
【主 催】六朝学術学会
【申込方法】以下の(1)(2)いずれかの方法で5月31日(日曜)正午までにお申し込みください。締切後、お申し込みいただいた方にZoomURLや資料配付方法をメールにてお送りいたします。メールは開催日前日までに送付予定です。
(1)出欠フォーム(Googleフォーム)より申し込み
上記出欠フォームにてお申込後、ご記入頂いたメールアドレスにお申込内容が自動返信されます。回答のコピーが届かない場合はメールアドレスの入力ミスの可能性がありますので、その場合はフォームの再入力をお願い致します。
(2)学科事務局あてにメールでお申込いただくことも可能です。
メールでお申込の際には、以下の①~⑥をご記入くださいますよう、お願い申し上げます。
①ご芳名(フリガナ)
②メールアドレス
③ご所属
④会員・非会員
⑤懇親会 参加・不参加
⑥参加形式(対面orオンライン)
※郵送での参加申し込みは受け付けておりません。上記(1)出欠フォームないし(2)電子メールでお申し込みください。
※会員外の来聴も歓迎いたします。上記の要領でお申し込みください。
※理事会および評議員会開催日程の詳細は後日ご連絡いたします。
【連絡先】〒113-0033 文京区本郷7-3-1
東京大学中国語中国文学研究室内 六朝学術学会事務局
【メール】liuchaoxuehui★gmail.com(学会事務局)※★を@(半角アットマーク)に変更ください。
各種委員会 10:00~ ※詳細は各委員長にお問い合わせください。
10:30 受付開始
11:00 会長挨拶 齋藤希史(東京大学)
【研究発表】*発表20分、質疑応答10分
11:05 発表①(30分)
早川侑哉(東京大学大学院)
・謝霊運の詩における『楚辞』引用について
(司会)矢田尚子(東北大学)
11:45 発表②(30分)
趙成昊(名古屋大学大学院)
・「猿鳥」対句の成立と展開―漢魏六朝の詩文を中心に―
(司会)○金鑫(岩手大学)
12:15 お昼休み(60分)
13:15 発表③(30分)
佐藤大朗(早稲田大学大学院)
・劉咸炘『三国志知意』の史学――清朝考証学から近代科学へ
(司会)田中靖彦(実践女子大学)
13:55 発表④(30分)
呉雨桐(東京大学大学院)
・六朝道教上清経と魏晋玄学
(司会)○和久希(二松学舎大学)
14:35 発表⑤(30分)
宇賀神秀一(明海大学)
・陶淵明「詠貧士」其一における詩文推敲の可能性
―左思「詠史」の継承と独自性の表出―
(司会)樋口泰裕(文教大学)
15:20 講演(全60分)
講演者:神塚淑子先生(名古屋大学名誉教授)
題 目:陸修静と陶弘景――六朝道教小史――
司 会:佐野誠子(名古屋大学)
16:20 総会
17:00 閉会の辞 渡邉義浩(早稲田大学)
18:00 懇親会
以上
発表要旨
1:謝霊運の詩における『楚辞』引用について
早川侑哉(東京大学大学院)
謝霊運の詩に『楚辞』の引用が多いことは、見やすいことである。ただそれが一篇の詩の中でいかなる効果を発揮し、謝霊運文学の形成にいかに寄与しているかという点は、従来さほど注意を払われてこなかった。寧ろ鈴木虎雄、小尾郊一以来の、謝詩を山水詩の嚆矢として評価し、その山水描写の部分の先駆性を評価してきた研究史の中で、例えば林田愼之助『六朝の文学 覚書』218頁が「從斤竹澗越嶺溪行」詩について評する様に、『楚辞』の典拠は山水描写の間に挟まった夾雑物として見られることさえあった。
本発表は『文選』所収作を中心に、謝詩における『楚辞』引用を再検討する。それらの詩では「九歌」や「遠遊」、「招隠士」の表現を集中的に用いることで、詩の空間を『楚辞』の神仙の場に見立て、「羽人」や「美人」等と呼ばれる『楚辞』の神仙との邂逅を希求し、且つ詩人自身を隠者・神仙に擬える。山中の空間に隠者や神仙を求め、自身もそうなろうとすることは遊仙詩・招隠詩の主題だが、謝霊運はそれをそのジャンルの源流である『楚辞』の世界への見立てを通して描く。単に『楚辞』の表現を散りばめて文飾しているという事ではなく、現実の山中の空間をそのまま神仙世界として描くための構造として、「遠遊」の天上遊行や「九歌」諸篇の神霊との交渉が援用されているのである。
しかし謝詩では結局、その神仙への憧憬は報われず、末尾に到って否定される。そして謝霊運独特の「賞」の思弁が示される。山中の世界は仙界であることによってではなく、詩人によって「賞」されることによって意味を持つ。筆者は謝詩の「賞」を山水の中に天地の「理」を見出してそれを求めることだと考える(小尾郊一『謝霊運―孤独の山水詩人―』後篇二―二参照)。その思弁により謝詩は山水を描きつつそれをそのまま「理」の体現として扱う玄言でもあり得ているのだが、それは山水を『楚辞』の神仙世界の現実化として捉えることを経過することで可能になっていると考えられる。叙景と『楚辞』への見立てと思弁とが個別に並列されているのでは実はなく、一連なりの展開を示しており、行動・知覚即思弁の世界が提示されているのだと考える。
2:「猿鳥」対句の成立と展開―漢魏六朝の詩文を中心に―
趙成昊(名古屋大学大学院)
「サル」は中国古典文学において重要なモチーフである。先行研究では、とりわけ「猿声」「猿鳴」といった猿の鳴き声に関わる詩語に注目が集まってきた。松浦友久は、猿声のイメージが六朝後期にはほぼ定着していたことを指摘している。しかしそれ以前においては、「猿声」に限定されることなく、猿と鳥と対句になる用例が数多く認められる。本発表では、「猿鶴」「猿雉」など先学により論じられてきた「猿鳥」対句および夜間に鳴く「夜猿」のイメージを再検討する上で、詩人が事実との齟齬を生じる可能性を承知しつつも、対句形式の維持を優先する場合があることを指摘し、猿と鳥が対語として成立する現象と、漢魏六朝期の詩文における対句の重要性とを改めて明らかにする。
「猿鳥」対が盛行する以前、猿の表現は、漢賦に見られる動物の列挙が主であった。しかし六朝期に入ると、この特徴は次第に希薄化し、「鳥獣」「禽獣」の対句が頻用されるようになる。これらは動物列挙の伝統と同じく、「猿鳥」対句よりも古い表現形式で、猿や鳥の鳴き声に注目が集まる六朝期に至るまでの過渡的現象と考えられる。「猿鳥」対句の流行に伴い、「鳥獣」「禽獣」という概念は細分化され、「猿雉」「猿鶴」など多様な「猿鳥」対句へと展開した。また、鳥のほかにも、猿と対をなす対象として蝉や水がしばしば用いられ、「猿蝉」「猿水」といった対句が成立している。これらの対句と「猿鳥」対句との成立時期の前後関係は判然としないが、いずれも「音」という要素に基づいて形成された点で共通しており、相互に影響・吸収し合いながら、「猿声」という詩語の成立に重要な役割を果たしたと考えられる。以上のように、「猿鳥」対句は六朝文壇において徐々に定着し、六朝中期以降には、文学者が典故を対句と組み合わせ、つまり正対・反対および事対を融合させることで、新たな表現を創出していったことが明らかとなる。
3:劉咸炘『三国志知意』の史学――清朝考証学から近代科学へ
佐藤大朗(早稲田大学大学院)
劉咸炘(一八九六~一九三二年)は清末から民国を生き、成都大学・四川大学の教授をかんきん務めた。彼の著述は『推十書』にまとめられ、史学の成果に『四史知意』がある。『四史知意』は、『太史公知意』『漢書知意』『三国志知意』『後漢書知意』の四書によって構成される。『三国志知意』は一九三二年に成立し、その四年後に刊行された盧弼『三国志集解』に多く採録された。考証学が盛んであった清代の学術を振り返り、締め括る時期に作られた書物といえよう。
『三国志知意』を扱った専論に、楊代欣〈一九九五〉・熊鋭〈二〇一八〉がある。どちらも劉咸炘の説を逐一丁寧に確認したものであるが、中国学問史への巨視的な視野をいささか欠くように思われる。田尻健太〈二〇二五〉によると、劉咸炘は西洋の学問に対抗し、章学誠が示した「六経皆史」の説によって中国古典学を捉え直し、同時代(民国期)の今文学派と古文学派の対立を整理したという。田尻氏は、「ウェスタン・インパクト」と交差した民国時代の学問のあり方として劉咸炘に重要な位置を与えた。
報告者(佐藤)はこれまで、何焯『義門読書記』・王鳴盛『十七史商榷』・銭大昕『廿二史考異』・趙翼『廿二史箚記』に採録された正史『三国志』に対する考証学の説に着目し、清代の史学史がいかなる論理を持つのか捉えようとしてきた。劉咸炘は『三国志知意』において、何焯・趙翼・銭大昕らを「多く曲説を為す(多為曲説)」と批判し、とくに今文『春秋公羊伝』によって『三国志』を解する何焯を鋭く否定した。他にも顧炎武『日知録』、武英殿本に載せる李清植の考証、潘眉『三国志考証』、尚鎔『三国志辨微』を引用し、これらを一様に退けた。章学誠『丙辰箚記』に載せる『三国志』の説にも触れている。清朝滅亡の後を受けた民国にあって、劉咸炘は累積した清朝考証学の成果を乗り越えていく立場に自らを置いているようである。
本報告では、田尻氏が提示した中国学問史の展望を手掛かりに、清朝考証学から近代科学への変遷を『三国志知意』を題材に採って明らかにしたい。
4: 六朝道教上清経と魏晋玄学
呉雨桐(東京大学大学院)
六朝時代に数多くの道教経典が生み出された。その中で、東晋中期に江南地域で成立した、貴族知識人と深く関わっている上清経は、思想性・文学性が高く、豊かな知識内容を備えていることで知られている。上清経の文学的性格は、従来から多くの研究者の関心を集めてきた。しかし、上清経が成立・伝播した時代背景に目を向けると、それはまさに魏晋玄学と清談の風潮が社会に流行っていた時期に重なっている。
上清経の創出に関わった楊羲や許謐といった南方の中下層士族は、必ずしも清談によく参加する一流の名士ではなかったが、当時の玄学の影響を受けていた可能性は高い。上清経の思想内容や表現方法を概観すると、当時流行していた玄学風潮に対する呼応が多く見られる。
一、形式面――玄言詩との関係
上清経に多数見られる仙真歌詩は、楚辞や遊仙詩に影響されたことはすでに研究者に注目されているが、玄言詩との関係については、まだ十分に検討されていない。東晋時代は玄言詩の創作が最も盛んであった時期であり、玄言詩と上清経の仙真歌詩を比較すると、その構成や語彙、含まれる玄理の内容などに多くの共通点を見出すことができる。ただし、上清経の仙真歌詩は、「玄遠」な言語表現にとどまらず、上清経の世界観や思想を内包し、また修行法と密接に結びつき、教義体系の一部として機能している点に特徴がある。
二、思想面――玄学清談のテーマへの呼応
上清経の思想には、玄学清談でよく議論された諸問題への関心がしばしば見られる。そのなかで注目に値するのは、仙道思想と密接に関わる「養生」の論である。嵇康の「養生論」をはじめ、養生をめぐる議論は六朝を通じて継続的に展開された。その養生思想の中核は、生を全うし寿命を延ばすためには、まず精神を養い、世俗的な雑務や欲望を除く必要があるという点にあった。上清経においても、真人が教えを授ける際には、まず俗世の煩いを断ち、心を清めることが強調されている。この点において、修行実践を重視する六朝道教の中で、上清経は独自の特徴を示している。
5:陶淵明「詠貧士」其一における詩文推敲の可能性
―左思「詠史」の継承と独自性の表出―
宇賀神秀一(明海大学)
現行の陶集十巻本は、初期陶集の六巻本と八巻本、蕭統本の体裁に基づき編纂された北斉・陽休之の十巻本の系譜に連なる(陽休之「序録」)。また、陶淵明の「飲酒」其五は『文選』においては詩題を「雑詩」に作るほか、本文にも異同がみられる。こうした異同に関して発表者は、「陶集成立に関する一試論 ―「飲酒」其五の異同にみる推敲の可能性を中心に―」(『中国文化-研究と教育』二〇二五)において、『文選』ないし『文選』の依拠した当時の総集が梁代の通行本の六巻本に依拠して編纂されために「雑詩」として収録されたこと、後に淵明自身が「雑詩」から「飲酒」に改題して序文を附し、本文にも推敲を加えた八巻本の記述が陽氏十巻本に組み込まれ、現行の陶集に継承された可能性があることを指摘した。
この結論を踏まえて本発表では、汲古閣本『陶淵明集』巻四に収録される淵明「詠貧士」其一の末聯の「知音苟不存、已矣何所悲[一作当告誰]」について検討を加えてみたい。『文選』でも「已矣何所悲」に作っており、これが六巻本系統の詩句であるならば、割注の「当告誰」については推敲後の八巻本系統の記述と想定される。
改めて、当該一聯を捉え直してみると、理解者がいなくとも、「何ぞ悲しむ所ぞ」というのは、自己の孤独を乗り越えようする前向きな詩句として捉え得る。一方で「当に誰にか告ぐべし」というのは、自己の解消し得ない無い孤独感を露呈した詩句と看做される。つまり、積極的な感情を表す詩句から、より消極的な感情を強調したということになるが、淵明はいかなる過程を経た上で、このように改めたと考えられるのであろうか。
本発表では六巻本の執筆時期や流布状況などについて補足した上で、淵明「詠貧士」其一の当該一聯について、左思「詠史」との影響関係から捉え直してみたい。従来、淵明への左思の影響はしばしば指摘されるところであるが、とりわけ見直してみたいのは、左思「詠史」其八と淵明「詠貧士」其一の関係である。すなわち、左思「詠史」其八の影響を色濃く受けるのが、当初の「何ぞ悲しむ所ぞ」であり、左思の影響下から脱却し、淵明独自の認識が表出されているのが、「当に誰にか告ぐべし」であるように思われる。